2015.11.10
装幀と小説と脚本と
西島です。
あまり細かく告知をしていないのですが、日々、様々な作家さんの本の装幀画を手掛けています。例えば、最果タヒさん、倉狩聡さん、越谷オサムさん、北野勇作さん。最新刊は神林長平さんの『絞首台の黙示録』です。
小説とは何か、と考えると、究極的には「読み進めることそれ自体が快楽となること」かなと思います。例えば小説を読んで「この考えは違うと思う」「この価値観は理解しがたい」と感じたとしても、そのテーマを読み解けている時点で物語や哲学を強引にするすると「読ませる」小説の力があるんだなと。どの作家さんもそれが研ぎ澄まされていて、すごいな、すばらしいなと、ゲラを読むたびに感じます。
自分自身を省みると、実は先日、「小説」を描く機会に恵まれました。装幀のためのキャラクター原案や設定まわりを担当したblacksheep『Beast +』ジャケットの付録冊子で、「小説も載せてみよう」ということに。そんなわけで僕なりにトライしてみて小説にまとめ、普段仕事をしている活字担当編集さんに読んでもらったところ。
「これは、まあ小説ではないですね。セリフはいいけど」
とのこと。つまり僕のそれは小説ではないのです。それに値する「読みの快楽」がないのです。小説というものが根本的にわかってなくて、それが冒頭の「小説」の印象に繋がります。
最近手がけている映画脚本についてですが、脚本は小説ではないので、結果的には書けています。『世界の終わりのいずこねこ』『レイニー&アイロニーの少女コレクション』の二作を手がけましたが、これは「監督アテ書き」です。映画は監督が仕上げてくれるため、脚本はそのためのたたき台であり、重要なシーンでは「ここ空けておくので監督、言葉埋めてください」と空白スペースすらを空けています。
マンガで言うと、原作担当に近い感じだと思います。ペン入れは作家にまかせて、それ以前までを設定する。キャラ原案、ネームまでって感じです。脚本や設定、それ自体には大きな価値はなくて、あくまで仕上げるのは他者。そう考えると「マンガ原作」もできそうな気が。
そんなわけで、この夏僕はとりあえず「小説」は諦めました。でも「脚本」「マンガ原作」は向いていると思います。完成ではなくむしろ仕上げるための「空白」を作る作業。「脚本」「マンガ原作」のお仕事お待ちしています。
ディエンビエンフー12巻ペン入れ中。(ココ一番大事!)
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