『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説
<5> すべての余分なものを掬い上げたい
── 古川さんにとって子どもはどういう存在ですか。
子どもには子どもの条件がある。収入源がないから自分で生きていけない。名前すら自分でつけられないし、生まれた瞬間に放置されたらそのまま死ぬわけです。生まれてすぐは立つことも歩くこともできない。いろんな子どもが嬰児のまま死んでいるわけですよね。そういう子どもの条件を受け入れた上で、どうやって子どもを日本という社会性から自立させられるか。おそらくデビューからずっと、僕はずっと試行錯誤しています。自分でもなぜだかわからない。それがわかってしまったら小説を書けなくなる気がしますよ。
── 子どもを書きつづけてきたなかで変化はありますか?
書くごとにフェイズが変わってきています。自分は自分の幼年期からどんどん離れてきてるわけだから、離れることによってしか見つけられない救済を書こうと思っています。
── 単純に言ってしまえば、生き残った者だけで構成されているのがこの世界です。しかし果たして本当にそうなのか? 古川さんはそこを問うているのではありませんか?
そこはすごく大きいです。統合失調症の人がひとりで喋り続けていたりするでしょう。その人にとって語りかけている相手は本当にいないのか。いや、いるだろうと僕は思う。なぜ「いる」ということが前提にならないのか。
── 見えないもの、なかでも死者を世界の非構成員として遺棄してしまってもいいのか。
だめですよね。それらは何かを経て自然に見えなくなっていくんだけど、その見えなくなっていく過程を見せるべきなんです。田舎に荒れたお墓があるとします。誰も手入れせず、表面の文字も消えて読めない。ほんの百年で見えなくなってしまうんです。そうやってすべては失われていくんだけど、逆にいえば、失われるまでにそこまでの時間がかかっているともいえる。消えることを見せないシステムが僕は怖い。
余分なものは要らないってよく言われますよね。そんなこと言ったら「僕なんて世界に要らないしな」って自問自答が起きるんです。「余分なものを引き受けないんだったら、やめれば?」っていう声が聞こえるし、やめない以上はすべての余分なものを掬い上げたいと思っています。
── 「空気語」や「お帰り、そしてこれが、オンエアだ」というたがいに響き合う言葉が登場します。見えないものを可視化する発明のような言葉だと感じました。
結局、インビジブルなものに還元されるんです。『4444』においてはそれは教室の中に流れている空気の揺らぎでしかない。目に見えない、声に還元されるんです。