30 どうして引き算はネットワークを汚染するのか?
「はい、こちらは少女プログラム一号です。美味しいあんみつの作りかたを発見しました。寒天は素材第一主義でゆかなければなりません。その上で、どんなふうに賽の目に切るか? プリッとしないといけません。そうです、寒天はプリッと。料理の秘訣はまず足し算、素材や調味料をどう足すかで、それから掛け算の発想が生まれます。そして、ついに引き算の発想も! これが素材厳選主義、『不用意に足さない』スタイルです。ここから実行プログラムを出産祝いにかえます。落合と町田の二人のこと、憶えてますか? そう、同級生結婚です。子供を産みました。でも、落合は町田になったから、いまは落合ではありません。町田ナオだよね。その当時、わたしたちは将来きっと街を産むものだと思っていて……。いえ、懐古主義はやめます。それで、引き算のディテールでした。あんみつのための引き算の実際は——あ、もしもし? もしもし? どうしたの少女プログラム二号? どうして処理が停まるの? これネットワークの渋滞? もしもし?」
29 あと何分?
おれは思うんだが、赤ずきんちゃんはこんな話だ。彼女の祖母は遠いところにいる。だれも住んでいないところに住んでいて、そこが森だから、そこには狼(やら、名づけ得ない怪物たちが)いる。どうして祖母は森にいるのか? 森は人間の住むところなのか? 赤ずきんちゃんは事情を知っているわけだが——たぶん——、おれたちは知らされていない。赤ずきんちゃんは「森にも行ける」少女だ。これは驚異的な能力と言っていいだろう。異能だ。ただの人間の女の子ではない。あるいは、一種の強化スーツとしてそれを着ているのかもしれない。
それ。
もちろん赤ずきん付きの、だからパーカだ。
色彩はもちろん赤。
見るからに戦闘的なパーカだ(と思う。目にしたならば、そのはずだ。だが、目にできる者はどこにいるのか? 森にいるのか? だとしたら、目撃者はすなわち森の怪物に類する生物なのか? 怪物の仲間なのか? きみはどうなんだ?)。もはや彼女が「赤ずきん着用」時点で、その生物としてのモードは変更されている。
半分人間だ。
人間であるのは半分だけだ。
パーカの、裾はなびいたか。
かもしれないな。
そして、森だ。彼女はそこに入り込んでいる。この物語に七人のこびとは出ない。あれも半分人間だった。それから狼が出る。赤ずきんちゃんが狼に遭遇した。
「あら、狼さん」
「サレ」
「去れ?」
「ココハ森ダ」
「わかってるわよ」
「ダカラ、サレ」
「用事があるのよ」
「アルワケ、ナイ」
「あるのよ。おばあちゃんがいるのよ。そこにむかうのよ」
「ソレガ人間デアルワケ、ナイ」
「おばあちゃんが?」
「オマエハ悪イ」
「わたしが?」
「オマエタチガ」
狼が先回りをする。森を、赤ずきんちゃんの祖母の家をめざして、森のなかの獣道を。その道を通るならば、人間はずっと遅れる(に違いないと狼は確信している。狼はあまりに純粋なのだ)。すでに森に「人間の種」が蒔かれていることを、狼は赤ずきんちゃんと話して、知った。老成した人間が、すでに暮らしている! それは見えない汚染だった。純然たる森の生物の視界には、けっして捉えられない。だが、いまはヒントを得た。だとしたら……だとしたら……。
怪物になれ。おれが怪物になれ。
狼は走る。
獣道だ。狼用の、あるいは猪や熊も通るのかもしれないが、道を。
しかし赤ずきんちゃんはただの人間ではない。
半分だけしか人間ではない。
狼を追う。
パーカの裾がなびいた。
その色彩は、赤……赤!
追いかける影だ。狼を、びしっと追跡しつづける色彩だ。森のなかの不自然な赤。
少女の目が光る。
ぎらりと光る。ずきんの下で。双眸が。おばあちゃん、待っててね。おばあちゃん——おばあちゃん!
狼は間に合う。
狼は捨て身だ。祖母をしとめる。
そして半分人間に立ちむかうためには、おのれも半分人間にならなければならないと直観する。その直観は正しい。だから祖母を演じる。祖母となるための「人間装」をする。ああ、これで半分人間の狼だ、と狼は思う。これでおれも十全に怪物だ。
森のためにおれが森を汚染するのか。
しかし強化スーツは、狼を巨大化した。
その“パワー”の点で。
それから対峙がある。
赤ずきんちゃんの祖母の家で、半分人間の二者がむき合った。
それぞれの半分ずつが、「これは騙しあいだ」——と理解している。
ここからはグロテスクでエロティックな様相を呈する。だからこそ、民話としての赤ずきんちゃんが世界を席捲したんだが。それってどこの民話だ? まあいい。もう時間もないから(ほら、バス停はあと二つだけだ)、おれはつづける。携帯の画面にも字をこうして打ち込みつづける。狼が、グラスに入れた祖母の血をさしだせば、少女は、それを美味しいワインだわと言って呑み干す。挑戦を受けて立ったのだ。しかし——この時点で——赤ずきんちゃんの人間性はすこしばかり絶対的に棄てられた。敗北を回避するためにそうしたことで、結局、赤ずきんちゃんは人間をやめはじめている。それは半分人間であった様態とは、少々異なる。
肉も食べた。
狼が祖母の声を出して、「お食べ」と言ったのだ。
それは挑戦だったから、「あら、美味しいわ」と答えたのだ。
あるいは彼女は、血と肉によって祖母自身となる——摂取によって“祖母化”する——ことで、より強靭さを増そうと意図したのかもしれない。それほど森は、アウェイだった。だからこそ森の生物たちは、排除を試みた。
狼は強化スーツを脱がせようとする。
一枚ずつ、お脱ぎ、と言う。赤ずきんちゃんに。
着ている服を。
その挑戦を、赤ずきんちゃんは受ける。
脱いで、暖炉に放り込んだ。
本来ならば、脱げば、半分人間のモードから「常人」のそれに状態をダウンさせるだけだった、はずだ。しかし、そこには戦術がある——たぶん——、だからこそ、らんらんと双眸を輝かせて、少女は裸体にちかづいた。
ほら、祖母の血が消化される。
ほら、祖母の肉が消化される。
あと少し。
あと……ほんの……少々。
全裸の少女が、もちろん胸もまだ出ていなければ、陰部に毛も生えていない少女が、毛だらけの狼とむき合う。この瞬間、狼は戦慄した。毛だらけならば勝てたかもしれないのに、おかしな「人間装」をしている。祖母の装いをまとったことで、毛の力が抑えつけられてしまっている。それは強化ならぬ弱化スーツなのだ。
半分人間では、負ける。
やすやすと少女に、屠られる。
そして少女が襲いかかるとき、狼は言う。人間の(祖母の)声音を棄てて、言うのだ。「オマエニハモウ、ズキンハナイヨ」と。「オマエガ赤ズキンナモノカ」と。
この瞬間。
この瞬間だ、魔術はたしかに成った。この物語から赤ずきんちゃんが消える。しかし、消えたものは読み手なり聞き手を満足させないから、それは狼の腹に収まる。
そう、赤ずきんちゃんは食べられてしまったのです。
おれは「つぎで降ります」のボタンを押す。バスの車内の。間に合った。あと一分は、あるか? 送信しよう。検討してもらおう、大峰に。おれが携帯電話で書いた、これ、このテキストに、ちゃんと絵をつけられるかどうか。
なあ、大峰。
本題です。絵本作家になろうぜ。おまえ、立ち直ンないとな。天才なんだろ?
28 何割のクラスメートが聖者と化す資格を有しているのかを弾き出してみるプログラムってもう開発ずみだったかどうかの問い合わせは、した?
職員室にパーソナル・コンピュータが複数台、ある。もちろんネットワーク化されている。サーバはただ一人の職員しかいじれない。ただし、その職員は学校長ではない。時どきサーバは濁る。ただし、濁らせるのは学校長ではない。職員室には校長室が付属している。いわば職員室は「校長室付き」とみなせる。この観点からすれば、校長室は個室ではない。
だが校長室はサーバとも言えない。
わたしたちはウイルスだ。
わたしたちがコンピュータを濁らせている。
月曜日の朝礼。児童全員が整列する。縦に、横に。あれがビットの配列だ。八人が並ぶと一バイトになる。通常、走り抜けるコマンドは学校長の訓話で、これはプログラムを正常に機能させる。ただし児童の一定数は貧血で倒れるから(ばたばたと)、コマンドは一定の頻度で実行不可となる。
貧血による卒倒(ばたばたと、の)が一定数を超えたばあい、これはウイルスの仕業となる。
わたしたちの仕業だ。
あと一歩で学級閉鎖に追いこむプログラム。
わたしたちはプログラムなのか?
時おり、わたしたちは廊下を走る。プログラムだから、走る。この疾走には解放感がともなう。わたしたちは“走る”だけで構内を濁らせるのだが、それはウイルスだからやむを得ない。
たとえば関与していない現象は、一、ポールの国旗の掲揚、そこには「日本」という問題系がある。わたしたちを動かしているのはわたしたち用のコンピュータ言語であって、日本語ではない。二、予想外の体育館の使用。雨の時季、体育館はしばしば混雑の極みにおかれるが、これはコンピュータの濁りの帰結ではない。
梅雨が来ても、わたしたちは困らない。
落雷が来ると、わたしたちは困る。
コンピュータが唐突なシャットダウンに追い込まれるとき、わたしたちも「終了」する。
ところでわたしたちは、体育の授業に出席するさいには体操着を着る。
ウイルスの着替えは目撃されたことがない。
しかし、わたしたちは着替える。
一クラスは何人か?
これは未知数yとしよう。
すでに連立方程式だが。
わたしたちはyに示される数に分裂して、体操着になって、雨の時季ならば体育館内を満たす。
それから教室に戻る。また着替える。教室の、後方で。壁には学級新聞が貼ってある。じっさいには画鋲で留めてある。それはヨーヨーヨーヨーと読まれる。しかし、人によってはヨンヨンヨンヨンと読まれもする、『四四四四』だ。その紙名が。
紙だ。
紙はウイルスに冒されない。
デジタル化されていないがゆえに聖域に置かれる。
ただの紙なのに。黄変し、やすやす燃やされてしまう紙片なのに。それが勝利するのか?
聖域。
わたしたちは、そこに保護されて誕生するはずの聖者を夢見る。それらの聖者に怯える。凡庸な人間が凡庸ではない環境でやすやす聖者として、羽化する。だから児童たちの未来には、脅威がある。わたしたちは驚いて、問い合わせをする。何割のクラスメートが聖者と化す資格を有しているのかを弾き出してみるプログラムって……。
27 いかなる手紙が宇宙のど真ん中で停止したか?
心配事がある。心配事は後ろに置いて、晴人は家を出る。実際には家の前に迎えの車が来ている。それに乗る。運転手に挨拶して、アシスタントらしき若者に挨拶する。若者? 晴人はふと思う。他人を若者なんて感じるって、僕はいつから若者を止めたのか? 晴人はそれから、世界はどうして下の名前でしか僕を認識しないのか、とも思う。例を挙げる。ハルヒト君、ハルヒトさん、ハルちゃん、それからルヒィ……。この手のおぼえられ方って、それでも女性には便利かもしれない、この国では、とふいに日本について考える。結婚してファミリーネームが変わる制度、しかも女の人ばかりが。上の名前で認識していたら、古い、古い知り合いが連絡してきても、だれだかわからない。それを回避するには、下の名前で……。車が幹線道路から、今度はハイウェイ的なところに入った。じきに有料の本物のハイウェイに接続するんだろう、と晴人は漠然と予測している。ずっと車中でラジオが流れているのだと思った、視線を上にあげたら、違った。TVだ。そこに小さな画面があって、電波を受信している。晴人は、そうかTVだったのか、と思う。アシスタントの若者は(やはり晴人は“若者”と脳裡に指し示す)、僕よりも後ろの席で、それを見ているんだろうか。席は三列あった。これは人を運ぶための車だ。あらゆる地点から仕事の場所、つまり「現場」へ。
TVが言う。
新年オメデトウゴザイマス。
TVが笑う。
モウ最高ニオカシインデス。
TVが示す。
サァ番組ニコンナオ便リガ。
どんなお便りだろう、と晴人は顔をあげる。一瞬は外した視線を、そこに、画面に戻す。大写しになっている手紙。葉書ではない、封筒だ。年賀状でも年賀メールでもない、この新年のための……。新年? そうだ年が変わったんだった、と晴人はやっと認識する。そうだ冬にだってなってるじゃないかと続けて認識する。それで、どんな手紙だ? 車が下降する。道路が下向きに傾斜している。地中に入るようだった。トンネル状になった。交通混雑の緩和のための、ある種の立体道路だ。そのトンネルがはじまって、まだ続きそうだ。TVがおかしい。テレビが停まる。停まった? 晴人は少し呆然とする。それからモニターに人工的な案内が、ただの無機的なアナウンスが表示される。『電波が受信できません』と。それから『お待ちください』とも。待つって……いつまで。手紙が停止している。画面に大写しになったそれが、宙に、掛けられたままで。静止画像となって在る。晴人は猛烈に知りたいと欲求する。コンナオ便リはどんなお便りなんだ。その知らせは。だから、さあ、希望を伝えろ。
