『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説
43 そして最後の晩餐は
その煙草に火をつけることを老人は決意した。これは最後の一服だ……いや、最後の晩餐だ。もうお終いにしよう、と老人は決心した。おれはこんな年齢で独りになるつもりはなかった、おれが確実に、確実に先に逝くはずだったんだし、そうだ……妻を看取ることになるとは思っていなかったのだ。
しかし歳月は過ぎた。
予想は裏切られて当然だ。
そうだ、髭、と老人は思った。まだ黒い毛がおれの髭のなかにある。これは予想外だ、なにしろ……さっさと白いだけの髭になると予感していたのに。
老人はそこで、もう思案するのはやめよう、と心に思う。そうして思うのもまた思案の一種だと気づいて、ただシンプルに行動する。煙草だ、そのために火を準備する。ただし煙草に点火するためにライター類は用いない。マッチを出し、そのマッチで紙を燃やした。A3サイズの黄変した古紙だった。おれは慕われていたな、と老人は思う。たかが用務員が、子供たちの学級新聞の人気投票で、ああ……一位・二位・三位の、しかも校内の一位に選んでもらえたなんて。
いい思い出だ。
おれが焼却炉で、しょっちゅう、あの四年四組の掃除のごみ出しの子供たちとニコニコ話していたから?
あの子たちは、と老人は思う、なにかを“燃やせる”というのは権威だと、そんなふうにおれを認めた。おれに焼却を託しもした。そうして、この学級新聞で……おれは一位に選ばれた、わけか?
栄光の時代。
ありがとう、と老人は言う。だれも用務員の顔を憶えていないだろう。それでいい。おれは火をつけて、おれは燃やし、おれは煙を喫い込むことで、おれは消える。
なあ、と子供たちに言う。時間は不思議な流れかたをする。そうだ……するよ。