『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説

42 なにが一九八一年に起きたか?

   
 そのことはわからない。しかし、ある瞬間からはじまったのだとはわかる。これはルヒィの話だ。どんな集団にもポジショニングというものがあって、人それぞれにポジショニングの欲求というものがある。単純に「上に立ちたい」やつとか、「上に立っている奴に導かれたい」やつとか。つまりリーダー志望者がいて、大衆志望者がいるという構図だ。なりたいから学級委員長になるやつは、いた。他人から推薦されて委員長や副委員長になっても、心のなかでは誇らしいなって感じているやつも、いた。そして、だれかが委員長や副委員長になれば、あとは従うか、文句を言えばいいから、役職につかないことを選択する人間も。
 文句、これはシステムに組み込まれている。
 大衆の“資格”っていうのは、上の発言を唯々諾々と呑むか、上の発言の正反対を唱えるか、どちらかだけを選ぶ——選べる——部分にある。そこにだけ、ある。発言の表か裏か。そこに一二〇度違う方向のや、七十三度のや、次元すら一つ二つ違うのを持ち込んだりは、しない。
 そんなことをしたら、宇宙人になる。
 ほら、世界はついに三つにわかれた。
 1。リーダー。
 2。大衆。
 3。宇宙人。
 そしてルヒィの話だ。子供たちの社会(コミュニティ?)にも1と2はあって、この事実は当の子供たちにも理解されているのに、3はほとんど認識されない。だからルヒィは、3にはならずに1と2のあいだの潤滑油を選択した。ルヒィは正直だ。ルヒィは愛情にあふれている。いわばピュアだ。しかし「上に立ちたい」欲求もなければ、そうした欲求が実在することも気づけないでいるものだから、目立たない級友たちを慈しんだ。そして、目立たない子供っていうのは、じつは1でも2でもない。
 未来の時点からふり返ると、わかる。ルヒィはいいやつだったって。
 しかし「いいやつになりたい」やつは、単純にいいやつのはずがない。
 せいぜい1だ。分類の1。
 ルヒィはそうじゃない。いいやつだった。
 もちろんルヒィにだって野心はあったし、いまもある。成長したルヒィがその名前で呼ばれることはないから、いまのルヒィにはない……いまのルヒィなんて「いないのかも」しれない。
 じゃあ、話を戻そう。
 なにが一九八一年に起きたか?
 それをルヒィは放課後の教室で考えている。ルヒィは掃除をしている。実際にはルヒィたちが。分類の2の連中は付和雷同してサボって消えた。だからルヒィが、僕たちでやろうや、と言った。二人が、うん、イエー、と笑ったし、それにもう一人、数カ月後には違う学校に行ってしまう女の子も、参加した。
 掃除される教室がルヒィは好きだ。
 机たちが廊下に出されてしまうから。
 廊下に出された机たちは走らないし(もちろん!)、教室のなかは不思議な顔つきになる。とても不思議だ。フラットだ。級友たちの室内での絶対的ポジショニングにも、もう汚染されていない。
 こんなに広い、とルヒィは思う。
 床はこんなに平らだ、とルヒィは思う。
 空っぽだ、と一瞬思って、いつも、空っぽとは違うんだよね、とルヒィは思う。
 じゃあなんだろう?
 それがあるとき、判明した。ちなみにこの体験が起きたのは一九八一年ではない。ぜんぜん違う。ルヒィは、二人の男の子と一人の女の子と1でも2でもない豊かでフワフワとした掃除をつづけながら、あ、と気づいた。この教室には僕たち以外も、ずっと、いた。一年ごとに違う男の子と女の子たちがいて、通過していった。
 そうだ。
 だから“年”が通過していった——。
 それはいつからはじまったのか?
 一九八〇年まで、この小学校は木造校舎だったという歴史をルヒィは思い出す。
 それだ。
 だから一九八一年から、新校舎になる。この校舎になって、毎年、その“年”が通過していって、それは幽霊たちだ。ルヒィは通りすぎる幽霊たちに、やあ、こんちは、とモップをふる。
 すると教室の窓ガラスを風で叩いて、幽霊たちも返事をした。

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