『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説

40 いつまでにノイズたちは沈黙する?

   
 たとえばこんな情景だ。あたしたちは猫を飼っている。あたしたちは同棲していて、一匹の猫を飼っていて、その猫は雑種の白猫で、あたしたちは暮らしはじめて六カ月めで、四カ月をすぎたころから雲行きがあやしい。でも、あたしたちは平等にその白猫を愛していると思う。
 あたしは彼のいろんな部分が許せない。無駄なこだわりとか、あたしの言うことを聞いているふりをして聞いていないし、食べかたがちょっと汚いとか。もちろん違う人間だから愛したし、愛したから暮らしはじめたわけで、そのことを理解しているし、でも、あたしはあたしを全面的に受け入れないことが結局はまるっきり許せないんだと思う。あたしたちは同棲しているけれども、あ、こんなところが嫌いだ、とはっきり思う瞬間に、彼を見るあたしの視界に白い線が無数に走る。
 あたしの視野はノイズだらけになる。
 白猫は愛おしいのに、白いノイズは憎しみを駆るだけ。
 いやだ。
 あたしが、いやだ、という顔をすると、彼が乱暴に反応するようになった。
 そして、こんな情景だ。彼は大判の分厚い雑誌を読んでいて、彼がなにかを言うか、あたしがなにかを言うかを契機に、その“乱暴”が暴発する。あたしはまだ、殴られてはいない。けれど、この日は雑誌を投げつけられる。それはあたしの頬に当たって、跳ね返り、ぽろん、とカーペットに落ちる。あたしの一メートルとちょっと前の床に。落ちた雑誌はページを開いた。写真がある。そのページに載っているのは風景の写真だと思う。それは旅がテーマの雑誌だからだ。
 どんな写真かなんて、わからない。
 視界はノイズだらけだから、ノイズの疾走レースだから、わからない。
 怒号もそう。
 そして猫が、ジャンプする。あたしたちの白猫がソファから跳んで、その雑誌のその開かれたページに載る。それは「やめなさい」という合図だ。それは彼とあたしのちょうど真ん中の空間に現われて、分け入って、「やめなさい、にゃん、仲介です、にゃん」と宣言するアクションのランゲージだ。
 あたしは泣いた。
 座り込み、猫を撫でる。
 その雑誌のページの上で、白猫は、旅しているように見える。あたしの視界のノイズはまだ轟々としていて、あたしは光と影しかわからない。写真には光が、それから影があるんだとしか。でも、写真にはキャプションがついていて、それは撮影クレジットで、その部分だけはノイズの波を通過して読める。たぶん白猫を祝福しているように感じられたから photogragh by Snow とあるのが見えるし、読める。撮影者の名前がスノウだから、あたしは、白猫が撮ったみたいだと思う。
 猫の撮影した写真。
 そんなことだって、あるのだ。あたしたちはきっと別れるだろう。でも、この瞬間は愛おしい。あたしは網膜に、猫と雑誌をまるごと、記録する。

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