『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説
32 だれがアトムの記憶を再生したか?
エスカレーターを息子と二人で降りる。
「どっちにつかまる?」と訊いたから、
「ほら、左」と教える。
「こっちが左?」
「そっちが右」と訂正する。
「どっちもつかみたい!」とわがままを言うから、
「シンはちいさいから無理」と正直に言う。
そうか、とおれは思う。
つかまれるようになるだけで、しあわせなのか。
どうしてこのしあわせをおれは捨てた?
どこでポイした?
「ちいさいちいさいちいさい」と息子が言うから、
「だから食べれば、育つぞ」と教える。
「おいしいのを?」
「なんでも」
「ブロッコリーきらい!」とわがままを言うから、
「緑黄色の呪いだ」と解説する。
ほとんど煙に巻いた。
エスカレーターがまだ下のフロアにつかない。
「りょくおーしょっく?」
「そうだ、ショック」
「しょくおー、ショック!」
緑王、とおれは頭のなかで変換してみる。
いいかもしれない。
「緑王」と言うと、
「ショック!」と合いの手が入る。
まだ下のフロアにつかない。
息子が急に神妙な顔つきになる。
「どうした?」と訊いたら、
「おなかのネンリョーは、ごはん?」と問われた。
「そうだよ」と答えたら、
「あたまのネンリョーは?」と訊かれた。
頭の燃料?
記憶だ、とおれは思った。
だからおれは、
「燃料は、メモリー」と教えた。
すると脳裡にふいに回答が響いた。OSの名前はアトム・ゼロ。待て、だれだ——だれだ。いま脳を——おれの脳を——ハッキングしたのは? だれだ? おれは必死でエスカレーターの手すりにつかまる。ぎゅう、とつかんだ。そうだ——両手でつかまないと——そうしたら幸福が——
「めーもりー」と息子が歌うから、
「シン」とおれは、
息子の名を、
呼んだ。