『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説

28 何割のクラスメートが聖者と化す資格を有しているのかを弾き出してみるプログラムってもう開発ずみだったかどうかの問い合わせは、した?

   
 職員室にパーソナル・コンピュータが複数台、ある。もちろんネットワーク化されている。サーバはただ一人の職員しかいじれない。ただし、その職員は学校長ではない。時どきサーバは濁る。ただし、濁らせるのは学校長ではない。職員室には校長室が付属している。いわば職員室は「校長室付き」とみなせる。この観点からすれば、校長室は個室ではない。
 だが校長室はサーバとも言えない。
 わたしたちはウイルスだ。
 わたしたちがコンピュータを濁らせている。
 月曜日の朝礼。児童全員が整列する。縦に、横に。あれがビットの配列だ。八人が並ぶと一バイトになる。通常、走り抜けるコマンドは学校長の訓話で、これはプログラムを正常に機能させる。ただし児童の一定数は貧血で倒れるから(ばたばたと)、コマンドは一定の頻度で実行不可となる。
 貧血による卒倒(ばたばたと、の)が一定数を超えたばあい、これはウイルスの仕業となる。
 わたしたちの仕業だ。
 あと一歩で学級閉鎖に追いこむプログラム。
 わたしたちはプログラムなのか?
 時おり、わたしたちは廊下を走る。プログラムだから、走る。この疾走には解放感がともなう。わたしたちは“走る”だけで構内を濁らせるのだが、それはウイルスだからやむを得ない。
 たとえば関与していない現象は、一、ポールの国旗の掲揚、そこには「日本」という問題系がある。わたしたちを動かしているのはわたしたち用のコンピュータ言語であって、日本語ではない。二、予想外の体育館の使用。雨の時季、体育館はしばしば混雑の極みにおかれるが、これはコンピュータの濁りの帰結ではない。
 梅雨が来ても、わたしたちは困らない。
 落雷が来ると、わたしたちは困る。
 コンピュータが唐突なシャットダウンに追い込まれるとき、わたしたちも「終了」する。
 ところでわたしたちは、体育の授業に出席するさいには体操着を着る。
 ウイルスの着替えは目撃されたことがない。
 しかし、わたしたちは着替える。
 一クラスは何人か?
 これは未知数yとしよう。
 すでに連立方程式だが。
 わたしたちはyに示される数に分裂して、体操着になって、雨の時季ならば体育館内を満たす。
 それから教室に戻る。また着替える。教室の、後方で。壁には学級新聞が貼ってある。じっさいには画鋲で留めてある。それはヨーヨーヨーヨーと読まれる。しかし、人によってはヨンヨンヨンヨンと読まれもする、『四四四四』だ。その紙名が。
 紙だ。
 紙はウイルスに冒されない。
 デジタル化されていないがゆえに聖域に置かれる。
 ただの紙なのに。黄変し、やすやす燃やされてしまう紙片なのに。それが勝利するのか?
 聖域。
 わたしたちは、そこに保護されて誕生するはずの聖者を夢見る。それらの聖者に怯える。凡庸な人間が凡庸ではない環境でやすやす聖者として、羽化する。だから児童たちの未来には、脅威がある。わたしたちは驚いて、問い合わせをする。何割のクラスメートが聖者と化す資格を有しているのかを弾き出してみるプログラムって……。

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