『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説
17 どれが冬眠の贈りものですか?
ファンタは立ちあがる。
ファンタは日付を知らない。
日付?
ファンタは何日がすぎたのかを知らない。
漠然と思っていることはある。何日か、なんてわけ、ないだろ。何十日か、でもないだろ。何百日か……千日か?
ファンタは吐きそうになる。
吐かない。
ドアがある。
開ける。
階段がある。
脚がこわばっている。
転ぶなよ。
だから、転倒するなよ、おれ。
ファンタは、一段、一段、真剣におりる。一段をおりるためには、右足をおろして、それから左足をおろさないとならない。結局、二段だ。
じゃあ、階段って、何段あるんだ?
ファンタは思う。
そもそも、家の階段の数を、おれはおぼえていたのか?
ファンタは思う。
普通のやつは、おぼえているのか?
ファンタは思う。
普通って?
ほら、十四段め。
だから、二十八段め。
それに、足す二——つまり——足す四。ああ、どうして足は二本、あるんだ? いや、一本だったら大変だよ。それは、わかる。でも、どうして三本じゃだめなんだ?
あとは、目とか。
どうして二個なんだ?
三つ目じゃ、だめか?
ファンタは思う。これって進化論だ。
ファンタは思う。三本足だと「いただけない」し、三つ目は「よろしくない」ってことだったんだ。きっと走りづらかったり……きっと獲物を見つけづらかったり……?
原始人か。
ファンタは思う。おれも冬眠してたから、原始人にちかいか。
ドアがある。こんどは玄関の、それが。
開けるまえに、靴を履く。
靴のサイズは、ぴったりだ。驚いた。おれはちぢみもしなければ、膨らみもしなかった……?
こんなに、冬眠して。
冬眠したのに。
何百日か……千日か?
ファンタは外にでる。
もちろん人はいる。もちろん通行人たちはいる。犬の臭いもする。散歩の痕跡だ。しかし、いま、犬はいない。
世界の地理は変わっている。近所でも。だって、消えている建物がある。知らないマンションが建っている。ファンタの近所なのに。
それから工事中の。
それから空き地。
そして、高架下。
ここは変わっていないな、とファンタは思う。
犬のシッコの臭いも、変わってないな。
駐輪場がある。
駐輪場は、戦場に見える。旧式の高射砲を立てかけているみたいに見える。そんなふうにしかファンタには見えない。
高架下から、でる。
角にコンビニがある。
そこの店員が、ファンタは好きだった。髪がすこし黄色い女の子が。
ドアがある。
開けないのに開いた。自動ドア。
……自動ドア?
ファンタはコンビニに入る。店員は三人いる。全員、知らない。変わっている。アルバイトなんて、当然変わるだろ。ファンタは、そう思う。ファンタは、決然とそう思う。ファンタは、清涼飲料水の売り場にいって、そこにある……そこにもあるドアを、開ける。冬眠から覚めて、最初の“餌”を、とる。
そしてレジへ。
おれをファンタって名前にしたの、だれだった?
だれか一人が、したんだっけか? それとも、クラスの雰囲気だったか? おれ……ファン太。いい名前だ。
いい時代だった。
そしてファンタはそのレジで、たぶん韓国系のだと思われる姓のネームプレートを胸につけた見知らぬ店員に、たずねる。
「ヨシザキさんって、いまも、います? 消えないで」