『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説
13 なんびき地獄の番猫はいますか?
はい、録音します。
「あ……あ……入ってる? 入ってるか。あのさ、クルマの話、するわ。おれのクルマの話。原田はぜんぜんクルマには興味ないんだろ?
女子ってそうだよな。
ま、前置きはいいか。
……前置きも必要か。自己紹介、要るよな。第一に、おれは毛深いです。第二に、おれは猫を飼っています。正確に言うと、だからおれは猫を飼っています。猫も毛深いから。おれと同類だから。
ヒマラヤンって種類です。
ペルシャ猫とシャム猫をかけあわせたやつ。
猫の種類は説明して、大丈夫か?
そして第三に、おれはクルマを持っています。名前はケルベロス号です。もちろんこれは、ギリシア神話に登場する地獄の番犬のそれ、その名前からちょうだいしました。
しかし、ケルベロス号と名づけたことで、このクルマの運命は変わった。
その前に。
当然のことながら、クルマに乗るのはおれだけではなかった。なにしろヒマラヤンをおれは飼っているんだから、その猫も乗った。この猫は、デブです。かなり太っている。そいつが助手席で、こう、見張る。
フロントガラス越しにね。
前方を。
地獄の番猫だ。ってことは、この世が地獄だって結論になるけど。まあ、哲学は回避して。おれがクッションを三つ積んで、ヒマラヤン用の席を用意してね。外がガラス越しに見えるように。高さ、考えて。
つまりケルベロス号には……、
一、運転席におれ、
二、助手席に猫、品種はヒマラヤン、
……がいたわけ。
そして、三、ケルベロス号があったわけ。
おれたちを乗せて。平穏な日々だった。毛深い人間と毛深い猫、それも地獄の番猫が、毎晩、街を駆けたよ。パトロールだ。おれはこの街にうまれて、この街で育って、この街を二年だけ出て、また戻ってきた。その街の自警団が、おれと猫だった。
団、でいいのか?
ケルベロス号がたった一台だけで、チームか?
いや、話を戻す。原田さぁ、おれが脱線したからって、そんな目で見るなよ。こういうの、癖じゃん。おれ、変わってないでしょ? 十歳からこうだった気がするよ。さあ、本筋。問題はその三のケルベロス号だった。ケルベロス号がケルベロス号とおれに名づけられていることだった。
おれはあるとき、『ケルベロスとは、地獄の番犬でありながら恐ろしい怪物で、頭は三つ、尻尾は——なんと——蛇!』と知りました。
改造された動物だ。
うわあ。
だとしたら。
名前負けするというか、名前負けさせてはなりません。おれは、改造をはじめました。原田はクルマには興味がないはずだから、ディテールは省略。最初の車体をAとします。そこからいろいろとパーツの交換があります。わかりやすいところでは、タイヤを替える。バンパーを替える。じつはドアまで替えました。このあたりから解体がはじまります。車内でもパーツが交換されます。シートベルトって単位じゃなくって、シートごと。ずばりリアシートだけBって車種のものになって。それから運転席も助手席も、Bのになります。うちの地獄の番猫、でぶのヒマラヤンもいまではB仕様の助手席にいます。ついにはおれは、搭載するエンジンまでBのに替えます。さあ、怪物だ。この特別仕様車は。途中でCのパーツも入れて、Dのも値段がチープだからって理由で投入した。つまりうちのケルベロス号は、『Aでありながら恐ろしい怪物で、車体がBとCからも持ってこられていて、バッテリーとワイパーとドア・ミラーは——なんと——D!』となりました。
改造された機械だ。
うわあ。
なのに、ケルベロス号はケルベロス号のままで……、
一、運転してるのはミスター多毛、つまりおれで、
二、地獄の番猫をしているのはミスター脂肪猫、つまりヒマラヤンで、
……同じ構成員というわけです。
しかし、三、ケルベロス号はケルベロス号なのだろうか? おれは十年間かけて、クルマを改造して、搭載エンジンだって何度も替えて、とうとう一週間前に気づいた。あのパーツはDので、このパーツもDのです。もちろん機関部は全部Dので、っていうか、このクルマはDだ。車体の……ボンネットもフェンダーもバンパーも、いまはDので。
Aの部品は一つもない。
それどころかBのもCのも、瞬間的に混ざったEやFのも。
Dの部品だけで成立している。
つまり、単純に、Dだ。
だから——そう。
Aは完全にDに生まれ変わっていました。つまりAはどこにもいない。それでもケルベロス号はケルベロス号と、言えるのか? そして、言えないとしたら、地獄の番猫はなんびき、いますか?
あ。
これって哲学かな……。
ところでさ、原田。おれはおまえに二者択一問題を出したい。ギリシア神話っぽい泉から女神が出てきて、『おまえが落としたのはこの毛深いイケメンか、それとも、この全身の毛の手入れがゆきとどいた凡人の男か』って問われたら、答えは」
ごめん、録音終了です。