『4444』刊行記念 古川日出男ロングインタビュー 読むたびにかたちを変える小説

9 どっちの七面鳥がほんもの?

   
 雨の写真をわたしは観察した。ここには雨がうつっているし、雨しかうつっていない。雨のうつっている風景——じゃないってこと。だって背景には焦点が合っていない。わたしが合わせなかった。
 わたしはどうして写真を撮ってるんだろう?
 なりゆきだ。
 わたしはどうしてお金をもらって、写真を撮っているんだろう?
 生活のためだ。でも、この写真はちがう。わたしは……わたしが雨を撮ろうとした。雨だけを。ボヤッとした背景の前に、落ちるものを。それは停まりそうで、停まらない。粒になりそうで、線になっている。しかしレンズは濡れた。
 これが雨?
 雨のことをこんなにも真剣に考えていたら(わたしはたいてい、真剣に考えるためにその対象を撮影してしまう)、わたしはというか、わたしの思いは七面鳥にたどりついた。雨のふる日に、七面鳥はその口を開けたまま空を見あげつづけて、溺れてしまうことがあるのだ。たぶん、「あ、雨だ!」ってびっくりして。あまりに驚いたから、口を閉じるのを忘れてしまって。
 この話、本当だろうか?
 雨と七面鳥。そうだ、わたしはこのエピソードを本で読んだんだった。それは料理の本だった、たしか。それじゃあ七面鳥料理の?
 そこまでは思い出せない。
 記憶は中途半端だ。
 わたしの記憶だから?
 それとも、だれの記憶だって、そうなの?
 七面鳥について、正しい知識は、ある。一、メキシコのアステカ人も七面鳥を家禽として飼っていた。二、そして七面鳥という生物は一夫多妻制だ。
 じゃあ、雨についての正しい知識——。
 その水滴が直径で〇・五ミリ以上のものを、雨っていう、とわたしは聞いた。嘘、わたしは調べた。百科事典で。でも、どんな情報よりも、わたしが雨をうつしたこの一枚のほうが雨の“真実”にちかいはずだ。一枚の、印画紙に落としこまれた写真のほうが。
 ここには雨がうつっているし、雨しかうつっていない。
 これが雨?
 こんなふうに考えることは、楽しい。
 楽しいし、希望がある。
 いつか、いろんなことがつかめる……みたいな。
 だって、そこにないものは写真にはうつらない。だから、うつっているものはそこにある。心霊写真なんて嘘だ。
 それから二つのことをわたしは考える。一つは、雨とわたし。もう一つは、またもや雨と七面鳥。最初のにわたしの思いがたどりついたのは、当然だ。スノウというのが名前だったから。わたしの。つまり雪——雨と雪。
 もちろん本名じゃない。
 わたしの本名は、たいてい、ちゃんと発音されない。わたしは日本人じゃない。つまり、国籍はってことだけれど。そして、名前がふつうには発音できないから(わたしはできる。ほかの人たちができない)、いろんな問題が起きた。そうしたら、友だちが一人、わたしに名前をくれた。
 自分の苗字を。
 そこから、一文字、取って。
 それが雪。そして、日本語でもないものに変えた。「スノウにしなよ」って。
 わたしはスノウになった。
 なったから、生きてる。これはなりゆき? これはちがうと思う。だいいち、わたしはこの名前を大切にしたし。いってみれば乱用しなかったし。それから、職業的に写真を撮りはじめて、これこそが大事なんだってアーティスト名を……スノウにして。
 会いたいからかな。
 もしかしたら。
 あたしに苗字を、一つ、分けてくれた男に。
 男って、そのときは子供だったけど。ぜんぜん少年だったけど。わたしだって子供で。でも救われて。だから時どき、時どきって十年も二十年もつづいてる時どきだ、わたしは真剣に考えるし、そのために撮る。
 撮って、考えて、なにかを温めている気がする。
 温めれば孵るような、なにか。そう……卵みたいな。
 ここでわたしの思いは、雨と七面鳥にむかう。ふたたび。七面鳥にむかうの。七面鳥はクリスマスに食べる肉だ。その卵は、でも、食べるの? わたしは七面鳥の卵を見たことがない。もちろん撮ったこともない。それで、雨と七面鳥、雨とスノウと七面鳥。
 わたしと七面鳥。
 さあ、溺れるの、溺れないの?
 どっち?
 いつか撮るから、とわたしは決心した。ねえ、雪……雪の人。撮れば、それはある。ほんもののほうだけが。心霊写真なんてないんだよ。だからわたしたちは生きるんだよ。
 イキルノ。

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