〈目次〉
はじめに 裁判は他人事やない
第1章 裁判入門! 今日もどこかで開廷中。
第2章 もっと教えて!! 裁判員制度
第3章 そのとき、きみならどう裁く? ——模擬裁判・河出山中学傷害事件
第4章 死刑ってなに? えん罪ってなに?
おわりに
(編集N山)
]]>逆も然り。バカではない人は、「風邪をひいていないのに、これは風邪ではないかと勘付く能力が高すぎる」可能性があります。
「いやー、最近、風邪が流行ってますよね」という、お決まりの挨拶がありますね。どうも好きになれません。「流行ってますよね」という挨拶があるならば、「最近、めっきり風邪が流行りませんね」という挨拶もあるべきですが、私は一度もその挨拶を聞いたことがありません。ジッと、風邪が流行っていないタイミングを見計らっているのですが、なかなか「最近、風邪が流行ってますよね」という声はやみません。
要するに、風邪は常に流行っているのです。そして、流行った風邪を前にして、皆さん、「困っちゃうよね、風邪が流行っちゃって」と言い続けます。お分かりですね。なぜ風邪が流行るか、それは「これって風邪かも」という感知する能力が高すぎるからです。
就寝前に熱を計ると38度5分、だったとします。でもその時に、「あれ、お昼に熱いラーメンを食べたからかな」と思えばいい。そうやって、あなた自身が風邪のハードルを下げれば、風邪の流行りなんて、おさえることが出来ると思うのです。

(編集部 T田)
***
12月になりました。街がクリスマス色ですね。
さて、もう10年くらい前だと思うのですが、日曜日の夕方に放送している某国民的アニメ「○ザ○さん」で、サンタさんにまつわるエピソードで抗議が寄せられたという都市伝説を知っていますか。
いや本当にあった話なのですが…ご存じない方のためにざっくり説明しましょう。
タラちゃんは、ロボットが欲しいと書いた絵手紙(まだ文字が書けない設定なので)を、誰にも見せずにポストに投函しちゃいます。サザエさんとマスオさんはその手紙を見て、プレゼントを決める予定だったのに、大誤算!
聞き出そうとしても、「秘密ですぅ うふふぅ」と言って教えてくれない。サザエさんとマスオさんがあれこれ手を尽くした結果、「おもちゃの車」と判断。おもちゃを買ったマスオさんが、勝手口から家に入っておもちゃを隠し、夜を待ちます。サンタさんを待つと言ってなかなか寝ないタラちゃん(定番!)。
フネさんの子守歌でようやく寝たタラちゃんの枕元にプレゼントを置きます。翌朝タラちゃんは「ロボットを頼んだのに、どうして車ですかぁ?」と不思議顔。お友だちに話したら、お友だちは「ボクは車を頼んだのにロボットだった!」→「サンタさんが間違えちゃったんですねぇ~」と解釈して、おもちゃを交換する…というエピソードです。
ほほえましいお話ですよね…?
私、抗議内容が全く思いつかなかったのですが、世のお父さんお母さんにしたら、かなり致命的な内容だったわけです。このエピソードのNG、気付きますか?
何度も言いますけど、私はもう子ども心はないし、親でもないので親心もわからず、全く気付きませんでした。
親=サンタクロース という図式をあからさまに放送してしまっている! 子どもの夢を壊すな!という苦情が寄せられたらしいです。
それを聞いて、はじめて「ハッ!」って思いましたよ、私…。
えーーー…!そうか…。
今でもチビッ子はやっぱりサンタさんって信じてるんですか?
いったいいつまで?
私は子どもの頃、親が枕元にプレゼントを置いているのは知っているのに、親が翌朝「えーサンタさん来たの。よかったね」的になっているのが、とても気恥ずかしかった覚えがあります。
ちなみに、これはサンタ自体を信じていなかったわけではなく、サンタはいるけれど、外国(北のほうの国)の人だから、「日本には来ない」、ましてや「日本語の本とか、日本のキャラクターのおもちゃとか入手するわけがない」と信じていたのです(歪んでます?)。
外国っぽいメーカーの木のおもちゃとか、洋書の絵本とかが枕元に置いてあったら、「今年は日本まで来たのか!」と信じたと思います。
ちなみに、友だちに話を聞くと…
「両親からはイブの夜にプレゼントをもらい、朝起きると枕元にサンタさんからのプレゼントがあった」という恵まれすぎている子。
「サンタさんはウチには来ないから、そのかわり、これは父さん母さんからのプレゼントだ」とはっきり言われて、両親にプレゼントを手渡しされる子。
「弟にサンタは親だと言って、弟が泣き、親に怒られた」という漫画みたいなベーシックなエピソードを持っている子。
「10歳になったらサンタは来なくなる」とサンタ的ルールを親に言われて、その日が近付くのを恐れている子。
…などなど、各家庭のサンタ事情がありました。
みなさんのおうちはどんなサンタルールですか?
いつからサンタは来なくなるんでしょうか?
引き際って難しそうですけど…。
(編集部AH)
]]> うんと前のことですが、私が10代の頃の読書は、今思い返しても、本当に楽しいものでした。
なんといっても今のように(仕事柄でしょうけど)、「評判がいいから」とか、「この著者の本は読んでおいたほうがいい」とか、「すごく売れているようだ」といった邪念がまったくなかったのですから。
心の赴くままに、その本に価値があるかどうかなど関係なく読みたい本を手にとり、時代も国境もやすやすと越えて、読んでいる間じゅうその本の中に没頭していたのでした。
私の場合、数学や物理の授業時間がほぼ読書時間になっていて、先生に見つかって厭味を言わることもしばしば。でも、そんなことはへっちゃらでした。
今、果たしてあの頃と較べて、どれだけ読書を楽しんでいるか自分に問いかけて、同じだけ楽しいと答えるだけの自信がありません。
仕事のために読んでおかねばならないという本があるし、数冊並行して読んでいることも多くて、すばらしい作品に出会っても、「すごい!」と思うのは読んだ直後からせいぜい数日位であって、その後何ヶ月も“うっとり”を引きずることなく次の本にいってしまうからです。
だからこそ、何の混じりけのない読書を10代のみなさんには満喫していただきたいと思うのです。
そういえば、中学時代に読んでよく理解できずに終わった本が、後になって再読して驚くほど面白く、印象が全く違く感じられるものがある一方、大人になってから出会って、「ああ、10代に読んでおきたかったなあ」と思う本があります。
たとえば、『悪童日記』(アゴタ・クリストフ)と、『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)。
どちらも大人が読んでももちろん衝撃を受ける作品ですが、本当に全身で読むことができる2作。
10代で出会っていたらよりいい、お薦めの2冊です。
(編集部R・T)
簡単にいうとヅカヲタ(タカラヅカにハマった女性たちの哀しくも楽しい日常を描いたギャグマンガ。
私自身は特にタカラヅカ好きというわけではないのですが、
なにかにハマったことのある人間のツボを「あるある!」という力で突いてきて、ヤラレタ! とハマってしまったのです。
中高生の頃、私はサッカーにドハマリしていました。
最初は贔屓の選手を応援していればすむ話だったのですが、見ている時間が長くなれば自然と他の選手も目に入り、他のチームも目に入り、
背番号とチームを覚えているのはもちろんのこと、
「あ、あの後ろ姿は××選手」から、
「あのソックスの下がり方は●●選手」とか
「あらやっぱり×△選手は●×さんより背が低いわ。公式発表サバ読んじゃってv」とか
「あの選手とバスで並んで座ってるから顔は見えないけど△×選手だ」
などと、嫌だわ、書いていて、自分でもストーカーとしか思えなくなってきた、という青春を送っておりました。
ので、
「タカラジェンヌの母校(音楽学校入学前の)を訪ねて写真を撮る」とか
「私が死んだらパソコンは叩き壊してほしい 中を見ずに!」とかいう感情、死ぬほど分かって見過ごせないのです。
「贔屓の選手の母校を高校サッカーで応援する(もうその選手はいないのに)」とか
「身のこなしがきれいなイケメン少年がいたら『ユースに入れ!!!』と念を送る」とか
「好きな選手の高校時代の写真を入手」(一応断っておきますが隠し撮り等法にふれるものではないです)とか
していましたもの。情報化社会怖い! すみません!
…‥ま、私は当時から、死んだらパソコンを引き取ってくれる友人を用意していますけどね。
先に死なれちゃ困るから、複数ね。
とはいえ、なにかに夢中になっていない学生時代を考えると、ひたすらぼーっとする以外なかっただろうと思えば(勉強しろよ)、
好きなことなら夢中になって、日本中どこでもひとりで出かける行動力も瞬発力もついたのでよかったと自己完結しています。
情報の集め方もカンが働くようになるし、情報処理方面も自然と知識がつきました。
いいよなあ、人によっては、これが「部活に熱中! バスケに青春かけました!」なんでしょ? 健全ーと
羨む気持ちもなきにしもあらず、ですが。
残念ながら、一度そういうオタク体質になってしまうと
「一度好きになったものを嫌いになれない」ので、
上記の所業をいまだに条件反射で続けてしまうという残念な副作用は残りますけどね。
おかげで友人たちには「この人に少年を近づけてはいけない」(選手になるよう呪いをかけられる)と認識されています。
あの頃はまだまだ精神主義。気合い入れればなんとかなる的なノリでやってました。さすがに水飲むなと言われたり、ケツバットされたりということはなかったですが、私語をしてたらグラウンドを走らされたり、もう足が動かないのにノックの雨が止まなかったり……
あれは間違っていたなあ、と今になって思います。
「気合い」って、ともすると、体をガチガチにさせてしまうんですよね。「全力でプレーしろ」とよく言いますが、野球に限らずどんなスポーツでも大切なのはむしろ「いかに力を抜くか」でしょう。そのほうが動きも軽快になります。全身に気合い入れて部活やってると、いかにも青春している気になって気持ちがよいのですが、そのために上達しきれない選手がゴマンといるのではないかと思うのです。
かく言う私がそうだったという自覚があるのですが、それが証拠に、社会人になってからの草野球が楽しくて仕方ない。適度に力を抜いていられるので、逆にプレーが良くなったりして。ゴロを上手く取るコツはキャッチする直前にスッと力を抜くことですが、センスに恵まれていない凡人が気合いを入れてしまうとこれが出来ない。その余分な気合いを抜くことが、その人の野球を豊かなものにするかもしれません。
そんなふうに思っていた矢先、元巨人/パイレーツの桑田真澄さんの発言にふれて、漠然と感じていたことをズバリ言い当てられたような気がして、目から鱗がボロボロ落ちたものです。
桑田さんは、ひとの体力と集中力には限界があるので、いくら野球が好きでも長時間練習はムダとして、PL高校1年(!)のときに「全体練習は3時間にしましょう」と監督に提案したというのです(朝日新聞2010年7月20日付)。
圧巻は次の考え方。「練習量を増やし過ぎると、動作は徐々にゆっくりになってしまいます。その動きを脳が覚え、身体に染みついてしまう」(同前)。ああ、もしかしたら俺は下手になるためにあんなに練習していたのか……
とはいえ、大人になると、気合いで乗り切らねばならない仕事に多々出会うことも事実でして、あの頃の経験が生きてこないとも言えないのが、人生の趣深いところでございます。
(編集部F)
ところでみなさん、紅葉のしくみって知っていますか?
紅葉とは、もみじなどの緑色だった葉が黄色や赤に色づくもの。
それは、秋から冬にかけて見られます。
この時期、気温が低くなってくると葉っぱの力が弱まってきて、
葉を緑色に見せている色素が老化、分解されてきます。
イチョウなどが黄色くなるのは、その緑色の色素に隠れていた
黄色の色素が目立つようになるためなのだそうです。
一方、もみじなどが赤くなるのはこれとは少し違います。
やはり気温が低下すると、木は葉っぱを落とそうとしはじめます。
すると、葉っぱと枝の間に離層というものができて
水や養分などの行き来ができなくなるのです。
光合成でつくられた糖も、枝や茎に行くことができなくなり
葉っぱにとどまることになってしまいます。
この糖から赤い色素ができて、葉っぱが色づくのだそうです。
木々は季節の変化を感じ取って、私たちに見せてくれているんですね。
この紅葉、美しく色づくにはいくつかの条件が必要だそうですが、
その一つに、一日の中で気温差が激しいこと、というのがあります。
すなわち、朝晩は冷え込み、日中は太陽が出て
ぽかぽかあたたかい日が続くと良い、ということです。
さあ、今年の紅葉はどうかな、と勢い込んで
早朝から満員の新幹線に乗り込み、いざ、京都へ!
京都御所の秋の一般公開期間中でもあったため、
早速御所へ向かったのですが……。
京都の木々は、まだまだ青かった(笑)。
お庭など、上の方が少し色づいているものもありましたが、
本格的な紅葉はまだまだでした。
その後京都在住の方とお話ししたのですが、
今年は紅葉はまだまだ、もしかすると12月くらいかも?とのことでした。
紅葉は残念でしたが、京都のお寺を見て回っていると、
木々やお庭、そして向こうの山々の美しさが日々の疲れを取ってくれるかのようです。
それと……秋と言えば食欲!
帰りに寄ったお店ではお抹茶をいただき、
お土産にはパッケージの緑が印象的な阿闍梨餅を購入。
今年の秋の京都では、赤や黄色ではなく、
美しく、美味しい緑にたくさん出会うことができて、新鮮な気持ちでした。
秋はおでかけするにもいい季節。
みなさんも、旅行、とは行かなくても、
たまには新しい何かを発見しに、ちょっとでかけてみませんか?
(編集N山)

さて、結婚式は美大卒の新婦とイラストレーターである新郎2人による手作り感溢れるよいお式でしたが、何と言ってもクライマックスは「新婦の手紙」ですよね。ここは泣きポイントです。
私たちも、例に漏れず、もらい泣きをしたわけですが、彼女は中学時代から文章やイラストがうまかったなぁ(だから美大にいけたわけですが)。
ところで、中学生の頃…特に女子!
やたらと“お手紙交換”をしていませんでしたか!?
↓こういう風に折りたたむヤツ!
(上:定番の折り方、下左:たまに折るタイプ、下右:ハート型。折るのが面倒!)


そもそもクラスが一緒だし、休み時間も一緒(ヘタしたら放課後も遊ぶ)、翌日になったらまた会うのに、家に帰ったら「○○ちゃんへ」という手紙をルーズリーフ(そう!便箋ではない!)にしたためて、小さく折りたたんで、次の日、交換したりしませんでした?
さらに…わざわざ授業中に手紙回したりとか(先生、ゴメンナサイ)。先生が板書しているときに、ペンに挟んで飛ばしたりしていました…。何をそんなに(急いで)伝えることがあるのかと思うのですが、内容は非常にくだらないのですが…。
おそろしいことに私たちはその仲間内で回していた手紙を1冊のファイルに綴じて保管してあるのです。(ちなみに新婦のイラストのクオリティがハンパなく高い!)
あまりに恐怖ファイル過ぎて、自分たちでも開くのにかなりの覚悟が必要なファイルです。今は、新潟在住のSの家で眠っています。
…とまぁ、さすがに6人で回して、ファイルで保管しているのはレアケースですが、女子ってやたらお手紙交換してませんでしたか。ちまちまイラスト書いたりとかして。アレって、今は皆さんメールとかなんですかね。ツイッターとかになるんですか?
わざわざルーズリーフに書く必要ないですもんね?
相手の手元に自分のこっぱずかしい手紙が残らないのはいいような気もするけれど、あの不思議な「女子のお手紙文化」は今はなくなってしまったのでしょうか。
教えて! 14歳!
(編集AH)
]]>事故以降、テレビをつけるたびに、政治家や御用学者の楽観論が立て続けに流れました。「大丈夫です」が「大丈夫ではなかった」ことが日に日に明らかになりました。一方で、原発を危険視する専門家の解説を、正直なところ、詳しすぎて分かりにくく感じた人は多いでしょう。
今まで何も知らなかった(知らされていなかった)自分たちは、原発をどう捉え、どう立ち向かえばいいのか、そして、声を上げていくためには具体的に何をすればいいのか……イチから原発問題を学ぶ本を作りましょうと雨宮さんと話し合い、この本が動き始めたのは5月後半のこと。そこから怒濤の勢いで、様々な方々に取材を重ねました。
本書を読んでいただければ分かりますが、原発は、表からは見えない声無き人々をさんざん苦しめてきました。これまで若者の生きづらさをテーマに作品を書かれてきた雨宮さんならではの視点があちこちに突き刺さっています。
「推進か、反対か」という議論があちこちでわき上がっていますが、これだけ多くの人を苦しめているものに、そもそもそんな2択は用意できません。経済や社会や国家、というような大きな枠組の前に、個人や家族や友人という主語で考えれば、原発は絶対に要りません。その理由を、じっくりと学べる1冊になっております。
雨宮さんと話し合って、本のオビに「これからの未来を台無しにしないために」と書きました。原発問題は、これからの問題です。是非、読んでください!
内容は下記のようになっています。
<目次>
第1章 「原発いらない!」と気付いた日 ――3・11からの「反原発」
第2章 原発の中では何が起きている? ――元・原発労働者 Aさんに聞く
第3章 なぜ日本に原発ができたのか ――社会学者・開沼博さんに聞く
第4章 世界の動きと日本の原発 ――歴史社会学者・小熊英二さんに聞く
第5章 そもそも原子力発電ってなに!? ――「はんげんぱつ新聞」編集長・西尾漠さんに聞く
第6章 20キロ圏内にとり残された動物たち ――獣医・なかのまきこさんに聞く
第7章 「総被曝時代」に立ち向かうために ――映画監督・鎌仲ひとみさんに聞く
編集部T田
(編集部 RT)

東京、札幌、静岡を経て明日9月9日(金)、10日(土)は大阪、そして広島、福岡、富山、埼玉と回るのですが、今回は東京グローブ座での東京公演を終えた近藤さんに、お話を聞いてきました。
終演後の楽屋は…特製ののれんがかかっています。

ひっきりなしに訪れる方々のご挨拶の合間を縫って…

近藤さん:「こんにちはっ!」
時間を作って下さいました。
2時間踊り続け、しかも1日2回公演ですが、疲れた様子が見えません…。
さっそく、本のことを聞いてみます。
編集部:「『からだと心の対話術』の発売から約3週間が経って、周りの方の反応はいかがですか?」
近藤さん:「うーん…やっぱり面白いよね。これまで本として言葉にして出したりしてこなかったから、“へー、こんなこと考えてたんだ”っていう人もいるし、ずっと付き合いが長くても、ある意味ですごく新鮮だった部分もあるみたい。
あっ、昨日も親戚が見に来てくれたから、本をあげたりしてるよ」
ありがとうございます。ショップスペースでもオリジナルのTシャツやDVDなどと一緒に、ポップ付きで販売して下さっていました。半分は近藤さんのからだと心についての考え方、残り半分は読み手も応用できるノウハウが入っているので、公演中の売れ行きはかなり良いようです。
そして思った以上に、読者からのリアクションも多いとのこと。

近藤さん:「結構まじめなことも書いているので、学校の先生とか、教育の現場の方から手紙をもらったりもしているんだ。僕自身も教育学部だったし今も教えているけれど、そんなふうに真剣に考えたり向き合っている、これまで知らなかった人から声が返って来ると、その重みが伝わってくるよね…」
編集部にも、書店で本を開いて、半分くらい一気に立ち読みして、結局買いました、という感想などを頂いています。立ち読みで半分読めるスピードもすごいですが、おそらくいつも考えたり気になっていたことだからこそ、先へ先へと進んだのかもしれません。
編集部:「最後に、14歳シリーズの読者へのメッセージをいただけますか?」
近藤さん:「そうだなあ…。ああ、“自分のからだのことをあきらめないで”という事は言い続けたい。僕もこの年齢だけど頑張っているし、それをやめたらどうしようもないよね。本の中でも書いたけれど、ダンスが上手とか、優れたからだ、という意味ではなくて、自分のものだからちゃんと付き合ってほしいと思う。
言いたかったことは、ひとまず言ったと思うので、反対にどんな感想をもったかとか、返してくれたら嬉しいなあ。うん、応答があると嬉しいよね。」
ということで、もしお読み頂いて、感想があればどうかお寄せください。必ず近藤さんにお伝えします。
そしてCMですが、10月には近藤さんのソロ公演があります。
「11DANDY」 こちらは10月19日(水)~23日(日)に東京・こどもの城 青山円形劇場で行われます。ご興味のある方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。

楽屋の衣装掛けには脱ぎたてほやほやの学ランが、裏返しに干されていました。


『からだと心の対話術』 (近藤良平著)
(編集部MT)
……というような、街中で拾った衝撃発言を、長年、頭の中でコレクションしております。最新コレクションの一部を公開します。
『田中は世界を変えるかもしれない』
帰宅する小学生グループの会話です。田中君はそこにはいない模様。彼は今、何を企んでいるのか。20年後くらいに、「ああ、この田中だったのか!」と気付くのかもしれません。
『叶姉妹の好きなコンフレークって知ってる?』
電車内、上司と部下の会話。ただでさえ情報の少ない叶姉妹。コンフレーク好きかどうか、そしてその先、好きなコンフレークの銘柄まで知っているとほのめかす上司、かなりのやり手ですね。
『夏が俺を呼んでいない』
友人から聞かされた発言。おそらく彼なりに夏を呼び込もうと必死になったはずなのですが、結果が出なかった、糸口を見つけられなかった、らしい。「サザンを聴けば?」と薦めたら「とっくに聴いた」、と。もうすぐ今年の夏も終わります。
『あの歌あるじゃん、「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」ってやつ。でも、そんなこと言えないよね絶対』
女子大生と思しき3人組の1人が発言。なんだかすごいパワーですね。発言者以外の2人は、そんなの当然というような顔をして、黙ってファッション誌を読み続けていました。
こういう発言を街角で拾えた日、自分がその時々に抱えている小さな悩みが溶けていくようで、嬉しくなります。
皆さん是非とも、街中で、電車の中で、耳をそばだててみてください。
(T田)

えーと…。教室が六角形なんです。
角に柱があったからもっと多面体な印象が残っているのですが、大まかにいうと六角形です。その教室が隣同士並びあって、一つの校舎を作るので、校舎自体も六角形(…というか、やっぱりもっと多面体だと思う…)です。
自分の学校だけが珍しいのかと思っていましたが、ちょっと調べてみたら、全国に何校かあるようです。
蜂の巣校舎のメリットは
・何となく教室が広い。「面」が多いので、掲示物がめっちゃ貼れる。
・教室の前の廊下が直線ではなく、階段をぐるっと囲む筒状なので鬼ごっことかができて、楽しい。ぐるぐる走りすぎてすべったり、逆向きに走ってきた人とぶつかって転ぶなどデメリットも多数。
そして…大人になったときにこうやってネタにできる!
でも、そうやってネタにして、イマイチうまく伝わらずに「…あ…へぇ~…」って言われている蜂の巣校舎・卒業生が山ほどいるのではないかと思います。
今だって、メリットの2つ目が上手に説明できていないですよね…。
それでは、クローゼットの奥から引っ張り出した
卒業アルバムに載っていた蜂の巣校舎(雪国のため、雪に埋もれてますが…)をご覧いただきましょう。
(すっごい古く見えますが、画質が粗いだけですから。上手に写メれなかっただけですよ、ホントに)
↓こんな感じ!

…やっぱり、うまく伝わらないですねー。
(編集部AH)
]]>星がまだ消えていない夜明け前に、家を出る。朝早くから出かける、から転じて「何かに一生懸命頑張っている」「一筋に精励している」ことを指すそうで、くちずさめばなんだか涼しそうな語感です。暑さで朝目が覚めるので、不本意にも早々と会社に行ってしまうこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

星といえば三大流星群の一つ、ペルセウス座流星群が先週見頃だったので、ご覧になった方も多いかもしれません。村山斉さんの『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)や、惑星探査機はやぶさの帰還で、今年から来年にかけて宇宙ブームなのだそうです。新聞や普通の雑誌でも当面は特集がいくつも組まれ、宇宙に関する仕事を多くされているライターの方は立て続けの依頼に「まさに宇宙バブル」と仰っていました。
『COSMOS(コスモス)』という本があります。

著者は今からちょうど35年前、1976年の夏から秋にかけて、バイキング火星着陸船チームの一員として100人ほどの科学者たちと火星の探検に携わった、NASA(アメリカ航空宇宙局)の惑星探査指導者、アメリカの天文学者兼SF作家、カール・セーガン。その本は、私たちははるかな宇宙(COSMOS)から生まれ育って来たとして、惑星、太陽、恒星、銀河などへの探検をテーマとしているけれど、それに留まらず、科学とは何か、“知る”とはどういうことか……などについて、神話を引用しながら科学者らしからぬ熱のこもった筆致で綴った一冊で、同名のテレビ番組が日本でも一世を風靡し、1980年当時の宇宙ブームを巻き起こした名著として知られています。
「天文学者が、NASAを導く人がそんなこと言っていいの?」というくらい、ともすると宇宙人の話なども時々出てきてドキッとします。
私は大学時代、昼下がりの神保町の古書店でこの文庫本上下を見つけ、コーヒーショップか何かで本を広げたらあっという間にわくわくと引きずり込まれ、お店を出た時には文字通り星の瞬く(曇っていましたが)時刻になっていました。
いま改めてページを繰ると、当時は目に入らなかったこともずいぶんあります。
「科学の本質は、自己修正的であることだ。新しい実験の結果や、すぐれた考えが、たえず古い謎を解いてゆく」として、カミオカンデで知られる素粒子ニュートリノやクォークについても触れられていました。
自然科学の本などは特に、科学は更新されていくものだから、過去の本にはまちがいも含まれている、と思いがちですが、科学がどんどん細分化され、専門化されて分かりにくくなっている! と、ぼやきがちな昨今だからこそ、もやもやと “なんだか分からないもの” に対して、大胆に切り込んでいく姿は真摯で劇的で、夢中になってしまうのかもしれません。
ちなみに火星の姿を初めて見た当時、
「火星の風景は、足ががたがたふるえるようなものだった。そのながめは、息をのむほどのものだった」
と書かれています。火星は当初、間違って「青い」と発表されていたので、余計にその後に修正された「ピンクと黄色のまじった色」が衝撃だったのです。

「どこかで 信じられない何かが 知られるのを待っている」
という彼の言葉が残されています。
なぜそれを研究するのか、人にとってどう大切なのか。何かの始まりにはいつも、それを選び育てていく葛藤や誇りみたいなものがあります。その初心に触れ、輪郭を知り、エネルギーを取り込んで、さてさて自分はどうしたいのだったかな…と、いまに向き合うと、歴史に背を押されて背筋も伸びるような気がしました。
※『COSMOS』は現在絶版のため図書館でぜひ…
(編集部 MT)
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